福富製作所の歴史 ~農機具メーカーから門扉メーカーへの変遷について~
株式会社福富製作所の歴史をひも解いてみたいと思います。
当社は、昭和5年に私の祖父である石崎巳代治が個人経営として設立しました。地元には農家が多かったため、創業当時は農機具(犂[すき]や脱穀機等)を製造販売していました。中でも犂については特許を取得し、福富式犂という名前で販売し、非常に好評でだったと農家の方から聞いています。
その後大東亜戦争が始まり、その戦時中には横須賀海軍工廠の発注による艦船ぎ装金具を製造し、併せて日立航空機発注による航空機エンジン部品も製造しておりました。
昭和20年に終戦を迎えると、祖父石崎巳代治は、国民が途方に暮れる中、いち早く平和産業に移行し、農業用機械と共に小型澱粉製造機の製造販売に着手いたしました。
地元にはさつま芋を作る農家が多かったため、事業はさつま芋から澱粉(水飴)を製造する大型澱粉製造機製造へと発展していきました。
昭和28年には、株式会社福富製作所を設立し、石崎巳代治が初代社長に就任しました。
その後、大型澱粉製造機の販売は関東一円から全国に販売を広げていき、小さなプラントメーカーとして業界に認知されていきました。
しかし、昭和38年に当時の佐藤栄作内閣が、砂糖の抜き打ち自由化を行ったことから、状況は一変しました。アメリカから安価なトウモロコシ澱粉(コーンスターチ)が大量に輸入され、国内のさつま芋澱粉市場を脅かしたのです。
昭和43年に二代目社長に就任した、私の父親である石崎将夫(石崎巳代治の長男)は、当時の事を以下のように語っていました。
「当時の状況は、『風が吹けば桶屋が儲かる』の全く逆で、安いトウモロコシ澱粉が輸入されると、国内のさつま芋の価格が一気に下降する。さつま芋の価格が下がれば。さつま芋農家が儲からないのでさつま芋の生産をやめる。農家がさつま芋の生産をやめれば、澱粉工場もさつま芋澱粉(水飴)の生産ができなくなる。さつま芋澱粉の生産ができなくなれば、売上がなくなり工場は操業停止に追い込まれる。工場が操業停止になれば、澱粉製造機の機械が全く売れなくなる。といった具合で、当社の澱粉機械の売上は瞬く間に激減していったのです。」
事業継続の危機に瀕した石崎将夫は、事業転換を余儀なくされ、日立製作所の下請製品の製造や他にも様々な製品の製造を手がけました。そんな中、昭和41年から製造開始していたスチールドアがようやく軌道に乗り、澱粉危機を乗り越えました。
石崎将夫は、あと1~2年事業転換が遅れたら倒産していた可能性もあっただろう、とよく語っておりました。澱粉機製造は永続性があると信じていたが、ほんの数年で劇的に状況が変わることがあるのだと、予想を超える出来事に驚愕したとの事です。
その後昭和49年には、祖父が発明して特許を取得していた門扉が、「福富の連動門扉」として製品化され、特許による独占販売と当時の国内需要にも助けられ、自社開発製品として学校や工場等に向け、広く採用されるようになりました。
発売当時の連動門扉は、基本的なパターンが決まっていて、開口や高さに合わせて組合せを変えていくという製造方法がほとんどでした。その後は、段々と需要が多様化され、特殊デザインの製品や、電動で開閉する製品等種類も増えていきました。
一方で、スチールドア製品についても、木製からスチール製へと置き換えられ、時代の流れにも乗って事業として成長していきました。
私は、平成元年に25歳で福富製作所に入社いたしましたが、その時には、「門扉」と「スチールドア」という2本の柱が確立されておりました。私にとっては、この2本柱の製品をゆるぎないものとし、どのように進化させていくのかが課題であると感じていました。
両事業とも、特殊仕様で製作したノウハウを積み上げ、それをパターン化させ、標準製品に近い納期で生産できるように生産体制を変えていきました。その甲斐もあって、いまでは多くの特殊仕様がオプションパターンとして確立されています。
もう一つは、生産体制のIT化です。機械をNC付のものに交換していくことはもちろんですが、生産管理についても多岐にわたる工程の進捗状況がリアルタイムに把握できるようなシステムを構築してきました。
そのように生産が進化していく過程で、スチールドアにおいては、WEBを通して直販する「Fukutomi Direct」という新しい販売方法を確立し、多くの新規顧客を獲得しました。
一方、門扉においては、他社製既存レールを再利用して扉本体を交換する「RE門扉」製品を開発し、多くのお客様の門扉交換の悩みを解決する新しい手段として販売を伸ばしています。
そのどちらも、時代とともに変化していく市場に合わせて進化した重要な新製品となりました。それは、創業から93年間を経て、年代ごとに商売を転換してきた当社の歴史やその創意工夫の精神が、社風として受け継がれ、今日まで活かされてきた証しだと信じております。
これからも、社会のために貢献できる会社であり続けたいと考えております。小さなメーカーだからこそ実現し得る役割があると信じ、将来に向かって邁進していく所存です。
今後とも株式会社福富製作所に期待して頂けたら幸いです。
株式会社福富製作所 代表取締役 石崎雅彦